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贈り物の中身は何でしょう。  (2011/05/22 Ver.) 


「すごい色だな」
と、至極簡潔で分かりやすい感想を述べたシュラの目線の先には、テーブルの上へ密かに鎮座する小瓶がある。透明で、丸みを帯びた瓶の中には、今にもとろけそうなくらい濃厚な赤色の液体が入っていた。
「綺麗な色なのだ。とても鮮やかで」
既に同色に染められた爪の先で、カミュは瓶の表面に掘られた薔薇の花を思い起こさせる模様をそっとなぞる。
ただの赤一色であるのに、これ以上の感想は必要ないくらいの存在感は、それの送り主の名残であるのだろうか。
この瓶を引き立たせている花模様をそのまま映しとった、華やかで麗しい双魚宮の主は、カミュの密かな憧れの人だった。
彼が自宮で育てている大輪の、薔薇のように美しく誇り高く、飛び出る棘で、よくよく刺す姿を見かけることもあったが、痛みの中には繊細な優しさが潜んでいるように思えた。
時々、子供のように駄々をこね甘えてみたりもするのだが、とても強い人であるということをカミュは知っている。
丸一日、そんな花の人と街で買い物をして、合間にカフェへ立ち寄ってとりとめもない愚痴と赤裸々な夜の話を聞かされたり、露天の花屋で見たこともない花を眺めたりと、とても楽しい一日を過ごした。
楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、日が暮れて巨蟹宮へ立ち寄る前にそんな彼から微笑みと共に渡された黒い袋の中身が、今まさにカミュとシュラが二人で眺めているものだった。
「今日一日のお礼に。私からカミュへささやかなプレゼントだ。磨羯宮へ帰ったら二人で開けてみるといい」
そう言って楽しそうに笑った彼の瞳には、今、思えば何かを企んでいる輝きもあったのかもしれなかった。
「塗ってみないのか?」
まるで時が止まってしまったかのように、ただその小瓶を眺めているカミュへシュラが問いかける。
せっかくの美しい色であったとしても、只眺めているだけでは真価はわからず、眺めているよりもきっと柔らかな爪の先にのせたほうが、赤の存在がより際立つだろう。
隣にいる恋人の指先を鮮やかに彩ること以外に、この赤の存在理由がない。そうとまでシュラは思っている。それなのに、なにかを考え込んでいるカミュからの返答は、一向になかった。
本当に時が止まったのかと内心で独りごち、シュラは押し黙ったままの姿を覗き込んだ。
俯いた横顔を彩る長い糸も赤く、その赤い瞳が映し出すエナメルの赤から、ゆっくりと外れる視線。
カミュがふと上げた顔には、何故かの困惑と、どこかの嬉しさと、何かの憂鬱が混ざり合った表情が浮かんでいた。
シュラはじっとその顔を見ながら、まるで甘くて愛らしい菓子を目の前にして湧き上がる葛藤、食べたいけれど食べてしまうには愛らしくて、でも、食べたくて仕方がない、と振り回されている幼い子供のような顔だと思う。
「カミュ。どうした。眺めすぎて疲れたか?」
眺めすぎて疲れるなどということが、実際あるかはわからなかったが、うっかり幼子をあやすような気分でシュラは、問いかけた。
「…私は、この色がとても美しい色だと思う。とても塗ってみたいと思うのだ。でも、この色は私に似合うだろうか」
「似合う?」
「きっとこの色が似合うのは、彼のような人であると思うのだ。なんというかこの色は華やかだろう?私は貴方の友のように、美しくはない」
―――だから、なんだか塗ってくれるなと、拒否されているような気がする。
ポツリと聞こえたカミュの答えを耳にした瞬間に、思わずシュラは首を傾げた。
「ああ、シュラこれが気後れというものなのだろうな。私がもう少し麗しい外見であったら良かったのに」
シュラからの返事も待たず、続けざまカミュはポツリと呟く。
「どうしてアフロディーテは貴方と一緒に開けろと言ったのだろう。私だけだったら、こっそり一人で試すことができたのだ。似合うのか否か」
「…何故お前がそう思うのかわからん。というか、それは今俺と一緒にいたくないという意味でとらえるぞ」
「そうではないのだ。その…、」
その、と口ごもりながら、カミュは気まずいとでもいうようにシュラから視線を反らした。
またシュラの目の前で揺れる、赤。
例え一緒にいたくないと言われたところでな、と胸の内でシュラは勝手に答えを出して、ニヤリと口角をあげた。
そもそも、この赤い色が存在する理由なんて、たった一つしかないのだ。
「貸してみろ。似合うのか似合わんか試してやるから」
シュラは、カミュの前に置かれていた瓶を手に取り、躊躇いもなく蓋に手をかけた。
初めに少し力を込めてしまえば、ささいな躊躇いも杞憂も知らないように呆気なく瓶は開く。そのまま蓋を引き抜くと、先端にはとろりと濃密な赤を含んだ細い筆がついていた。
「いい色だ」
一言ぽつりと呟いた後、シュラはもう一度ゆっくりその筆を瓶の中に戻す。完全に蓋を閉めずに、カミュに向き直る。
「ほらそこに座れ。塗ってやろう」
そこな、とシュラが目で指し示したのはソファの端の肘掛けだった。
指先へ塗るはずなのに、ソファへ座ってしまったらやりにくいのではないだろうかと、カミュは聞き返す。
「座ってしまっては塗りにくくはないか?その前に、貴方に塗ってもらうなどそんな、」
「俺が塗りたいから塗るんだ。やらせろ」 
すぐさま淡い笑みと共に戻ってきたシュラの声音は穏やかなものであったが、そこにカミュの拒否権は含まれていないと、漆黒の瞳が物語っていた。
「う、うむ。わかったのだ」
シュラにエナメルを塗ってもらうということが嬉しい反面、そわりと落ち着かないような気分になりながらカミュは、ソファの上へのそのそと這いあがった。
シュラも直に座っていた床から乗り上げるようにしてカミュと向き合うと、手の中の瓶へ視線を移したままで言う。
「よし。肘置きにもたれて足を貸せ」
「あ、足の爪に塗るのか?私はてっきり手の爪に塗るのかと」
「手の爪ではすぐに剥がれてしまうだろう?それにこの色は、足の爪の方が映える」
カミュの返答もまたずに右の足首を掴み引き寄せると、抵抗をする暇も与えずに先端の薄い、小さな爪に赤い筆を落とした。
「動くなよ」
シュラは、その無骨な手に握られているというのが不思議なぐらい細い筆を器用に動かして赤をのせ、神妙な面持ちのままその面積を広げていく。
それは思わず息を詰めてしまうような緊張感だったが、カミュの体感しているほど長い時間ではなく、あっという間に、右足の親指の爪は染まった。
終えてみればあまりにも鮮やかなその手つきに、カミュは感嘆の声をあげる。
「貴方は以外と器用だったのだな」
「以外とはなんだ以外とは。失礼な奴だな」 
思わぬところで聞こえてきた賞賛をほんの僅か頭の片隅で疑う傍ら、シュラは視線をあげることなく次々と筆を落としていく。
なすがまま、されるがままでそれをぼんやりと眺めているうち、カミュは状況が違えど、自らの体の一部を真剣な眼差しで見つめられているというこの現状に、気付いてしまった。
思わず息を詰め、息が止まり、息を吐きだすことが辛いとさえ感じるような時間と同じ、ただただ、漆黒の二つの視線の元へ晒される時。
何気なく爪の先で吐き出されたシュラの呼吸ですらも、酸素を取り入れ吐き出す行為には思えなくなった。
「できた」
右足の指全てを塗り終え、やっと解放された至近距離の気配に、少しカミュは安堵する。
これ以上、シュラに触れられていたら。
そう思う心が、カミュの身体を無意識に動かして、シュラの眼前から逃げるように右足を遠ざけた。
「まだ乾いていないだろう。待て」 
「す、すまない。つい」 
だが、逃亡を許されることはなく、あっさりと捕えられてシュラの手の中へ戻る。
がしりと押さえ込まれた足首と踵を這う手がやたらと熱く、カミュは胸の奥でざわめきだした感情を押しこめるようにそっとシュラから視線を外した。
「結構時間がかかりそうだな」 
白い肌の上にのる艶やかな光沢に目を向けたまま、シュラがまるで独りごとのように囁いた。
何気ない言葉と共に唇から吐き出された呼吸が、赤い爪の光沢を一瞬曇らせる。
カミュの足首の先ではまだ、赤に塗られたその爪は乾いてはいない。
失った光沢がじわじわと熱を帯びるように艶を取り戻す様をふいに目にして、無性にシュラはカミュの足先から視線を外そうと思った。
視界の中心にある肌の白さと対比する赤の色が、目と心に毒だと訴えかける。
突如ねっとりと蕩けるようにシュラの心に入り込んできた毒は、指先に触れる踝の骨の頂きと、手のひらの中の踵の曲線を途端に酷く官能的なものに感じさせる。
滑らかな皮膚の下にある熱は、こころもち低いものだからこそ、より一層の艶が滲みだしてくるような感覚を覚えた。
赤い毒に浸食されて、よからぬ事を考え出した意識を諫めるべく、シュラがふとカミュの顔を見上げてみれば、今、この状況をさらに煽るような表情と視線がそこにはあった。
確か、エナメルを塗ってやろうとしただけのはずなのに。
赤い色の、綺麗なエナメルを。
「…カミュ…」
だが、それを目の当たりにして無視できる程、シュラは冷静な男ではなかった。
「あっ!…っ…」
頭で考えるよりも先に動いたのは体の方で、名呼びながらわざと爪先に息を吹きかける。
予期せぬ突然の刺激でカミュの口から声が漏れたことに瞳を細めて、一段低くした声音でわざとらしく問う。
「感じたのか」  
「いや、感じてない」
ハッとするように唇を噛み締め、絞り出すように告げられたカミュの嘘は、シュラをますます煽るだけのものでしかなかった。
時として嘘とは、真実よりもよほど官能的で甘美なものに違いない。
「ならば、続けるぞ」 
目の前にある甘美な嘘と赤色と、期待さえ映すような視線に晒されながら、シュラは薄く微笑むと、今度は塗り立ての爪へ触れないように、足指の先端から指の付け根までをベロリと舐め上げた。
「…っう…シュラ!」
直接的過ぎる刺激に耐えきれなくなったカミュが、抗議するようにシュラの名を呼ぶが、ふくらはぎに添えられた手が、ゆるゆると撫で摩るように膝へ向かって這いあがっていくのを止めることはできない。それは、足指をねっとりと舐め続ける舌先を止めることができない事と同じように。
「ンッ……やめ…っ…うっ…」
シュラは、必死に声を押し殺すカミュを尻目に、五本の指全ての肌を堪能したあと足の項へキスを送った。
「ああ、これだけしてもまだお前の爪は乾かないんだな」
小刻みに揺れる足首を掴んだままで、シュラはカミュと交わす言葉の合間にも指先へ啄ばむように唇を落とし、じわじわと緩やかな刺激を与えつづけている。
「まだ、塗ったばかり…なのだ…」
「ほう。それではいつお前を抱けるようになるんだ?」
徐々にせり上がってくるシュラの身体を感じながら、カミュはソファの肘掛けへ体重を預けると、それ以上下半身を覆う黒髪が見えないようにきつく瞳を閉じた。そして唇から漏れるのはまた、嘘。
「貴方がそういうことをする所為で乾かないのだ」
「そうか。お前がそんなことを言うのなら、他のところも赤く塗って時間を潰すことにしよう」
嘘を聞けば聞くほど高鳴る鼓動はひたすらに、シュラを甘く麗しい気分にさせるだけだった。
天井から落ちるライトの光が一瞬翳ったと感じたせつな、カミュはシュラに覆いかぶさられて唇を奪われる。
「…舌を這わせたらどっちが赤くなるだろうな…お前の爪とここだったら」
「ア…な……ンンッ…!あっ……」
次に息を紡いだ瞬間、服の裾から入り込んでいた手のひらが勢いよく素肌を晒して、そこにあった薄赤の綻びを撫でた。
「ああやはり、赤とはお前の為にある色なのだな」
明るい光が遮られれば、より深さをます、その赤。
それは、華やかで官能的な。
ただのひといろ。