くろやぎさんたらいわずにたべた ※R18です。閲覧にはご注意を。

一人ではない二人で微睡むベッドの上は、酷く心地がいい。
宝瓶宮のベッドの上で浅い眠りから覚めたカミュは、横たわったベッドを満たす温度と背後の人の気配を満喫する。
明けの星が輝く時間帯まで抱き合って、なかば倒れ込むようにシーツへ埋もれてから数時間。陽が高く昇っているのはわかるけれども、瞼の酷い重さには、まだまだ勝つことができなさそうだった。背中から抱きこむように絡められている素肌の腕と足の重みからはまだ抜け出したくない。
このまま、もう一度眠りの底に潜ってしまおうと、カミュは腕とシーツの中で小さく身じろぎをした。
「…ん…」
ほんのわずかに身体を動かした瞬間に、とろりと体内を伝う感覚があり、カミュの意識はせっかく足を掛けていた眠りの縁から、静かに遠ざかった。
抱き合った後にシャワーを浴びることすらも気怠く、おおまかに身体を拭ってはもらったが、激しい行為の残滓は、時間を隔てたあとでもいまだ、燻っている。
このままではベッドを汚すと頭ではわかっていても、カミュの身体は動かない。重い瞼を閉じたまま、内心で放り出したくない体温とのささやかな葛藤をし、また、ゆらりゆらりと手招きをする微睡みと格闘をしはじめた。
無意識であるのに、そわり、そわりと、添えた手のひらで太腿をなぞるシュラも、背後で眠りに沈んでいる。
起き上がることも億劫になるほど抱いたのは貴方なのだと、目覚めたあとの言い訳をぼんやりとする頭の片隅で考えながら、カミュは意識をどんどん沈めていった。
あやすように触れられる手のひらは、快感とは別の意味で気持ちがいい。だが、指先が足の付け根の窪みぎりぎりのところを撫でた時には、残滓で濡れているのではないかという僅かばかりの羞恥がぼんやり浮かんで、カミュは穏やかな息をふと詰めた。
薄い皮膚の中の固い骨をつつくように指先は、柔らかく付け根に沿って動き、一旦腰骨を伝って離れるも薄い双丘を触れだしている。
それ以上進んだら確実にぬかるみに触れてしまうと、カミュは掠れた声であまり役には立ちそうにはない注意をする。
「…あ…だめ、なのだ…ンっ」
でも指先は、止まる事もなくぬかるみに宛がわれ、そのままするりと埋もれる。微睡みに混ざる鈍い快感に、カミュはびく、と身体を震わせて背中を丸めた。埋もれていただけの指先が、からかうようにその場所で蠢く。カミュの耳元で、すうすうと規則正しい吐息は聞こえているのだから、寝ぼけているには違いないのだろうが、あまりにも指先は、カミュの快感が一思いに跳ね上がる部分を的確に触れた。
「ア…ん…っ…」
手指のたった一本を埋められただけで、カミュは吐息を荒げ、手繰るようにシーツを掴んだ指先に力を込める。微睡みが痺れて、えもいわれない快感になる。
残滓を掻き出すように体内で指を折り曲げられて、カミュは喘ぎ声が漏れないように唇を噛み締め、背後から腰に回されているシュラの腕を強く掴む。
「ンンっ……っ?」
そこで、はたと閉じた瞼の裏で快感とともに浮かんだことがあった。
背後から、横向きの態勢で眠るカミュを抱きこむように体温と重みがあり、カミュはその腕をたった今、掴んだ。掴んでいる頭の下には枕がわりの右腕がある。だから腹の上にはシュラの左腕があるはずで、その手を今、カミュは握っている。
そうしている間にも、体内で蠢いている指先は、耐えきれないほどの切なさをカミュに与え続けていた。シーツの中で微かに濡れた音がする。人体の腕の本数は、と考え始めたカミュは、瞼の裏で蠢いた気配で反射的にパッと瞳を見開いた。
そして耳元で吹き込まれた慣れた低音にぎょっとして、視界に映った色に、激しく動揺する。
『…そんなに俺の指を締め付けるな。いやらしい。』
「え…な、…あ、…」
『おい。俺はそんな色気のない声を聞きたいんじゃない。もっといい声だ。』
愛らしくて、いやらしい、と瞳を細めながら意地悪く囁く声を、カミュはとてもよく知っている。でも、撓む瞳の色素の薄い青色と、透けるような銀色がかったプラチナブロンドは、知らない。
「…貴方、は…?」
光なんて差し込んでいないのに、カミュは思わずプラチナブロンドと白い肌のコントラストが眩しく思えて瞳を細めた。やっと問いかけた声は、驚愕と唖然で上擦った。
途端に、強く内壁を乱され、鼻先がつきそうな程に顔を近づけられて、カミュは背後のシュラに寄りかかって、仰け反りながらそれを拒む。
「ああっ…あっ!いやだ…貴方は、」
『いやだ、といいながらお前はいつも俺に抱かれてるだろう?カミュ』
すぐさま仰け反った顎先を捕らえられるのを感じながら、カミュがチラリと視線だけを寝ているシュラへ向けてみても、見慣れた漆黒の髪しか見えない。
その顔が見たい、顔を見て、確認をしたい。そう思って視線を元に戻せば、見慣れたはずで見慣れない顔に唇を激しく貪られた。
「ンーーー!ンン!」
絡めとられて、時折舌先を甘噛みするようなこのキスも、カミュはとてもよく知っている。
キスをしながら逃さないとばかりに頭を抑え込まれる手のひらの熱もまるで同じだ。
でも、カミュは必死に首を振ってキスから逃れようと抵抗をする。
「…ん…、うるさいぞ…寝ぼけるな…カミュ…」
「…ンぐ…っ…あ、ン、ん…!シュラ!!」
なんとか逃げ出して自由になった唇で、カミュは咄嗟にシュラの名前を呼んだ。
『…なんだ』
「…なんだ…何を騒いでいる…カ…」
その声と、腕の中の身体が蠢くことで覚醒をしたシュラは、寝ぼけ眼で赤い髪の向こうに見えたものを二度見して、それから完全に凝視をしたまま固まった。
「…シュラ!…「シュラ」がいるのだ…!!ここに!」
「…お前…金…きん、ぱつ…だと!?」
二人きりのベッドに他人の気配を感じて、咄嗟にエクスカリバーを放たなかったのは、奇跡に近い。でもやはり放っておくべきだったと思いながら、シュラはカミュの入れた目覚めの珈琲ならぬ、気付の珈琲を一口啜った。
いつもなら、こうして共に一夜を過ごしてからの一日の始まりは、とても清々しく、癒されるものであるというのにシュラは落ち着かない。
すぐ隣の気配が、シュラが啜っている珈琲カップと同じものへ腕を伸ばして、掴む。一口を啜って、すぐさまカップをテーブルに置いた。
『…砂糖はないのか?カミュ。もっと甘いのがいい。苦くて飲めん』
「あ?…ああ、砂糖だな、あまりシュラは使わないから…持ってこよう」
まじまじとソファに並んで座る姿を見ていたカミュは、シュラからそう言われ、落ち着かない様子でリビングから出ていく。
「オイ。白山羊。貴様自分でとってこい。カミュを使うな」
『…黙れ黒山羊。お前のものは俺のものだ。そんなまずくて黒いものを飲んでいるからお前は黒いんだ』
「なんだと?お前俺に逆らったらどうなるかわかっているのか。いいか、俺が本体だからな!シュラは俺だからな!…寝起きからカミュの身体を弄びやがって」
『弄んでなどいない。俺はカミュを愛しているんだ。朝から恋人の身体に触れるのは当たり前だろう』
忌々しく睨みつけた先で、平然ともう一人のシュラが金髪を掻きあげながら得意げに愛の言葉を吐くものだから、シュラは思わずカップを握り潰しそうになった。
「っ!…ぬけぬけと…お前よくもぬけぬけと愛しているなどと…」
『…愛おしいと思うものへ愛を囁いて何が悪い?黒山羊』
ニヤリと口元を歪めながら、シュラの隣に座るシュラは、シュラを挑発した。
もう何年も鏡の中で見ていたはずなのに、シュラは自分と同じ顔に腹が立った。否、同じ顔だからこそ腹が立つのかもしれないとも思った。
苛立ちを腹に収めながら、挑発をする青い瞳から逃げるように視線を反らせ、手の中のカップを置くと、シュラは深い深い溜息をつく。
白山羊の問いかけは無視をする。
「…前にもこんなことがあった。その時は俺ではなくカミュだったんだがな。あの時はよかった…両手に花だった…。カミュは何人いてもカミュなのだと思った」
まるで見えない何かを想像するように、シュラは大きく独りごちる。
常人にはもちえない小宇宙という特殊な力を使えるからこそ、万が一理解しがたい夢のような出来事が起こっても、なんとか理由をつけて納得をさせることができると思っていた。納得をしてきた。
以前にカミュは、激しく抱き合った翌日、青い髪をもつ分身ができたことがあった。
確かにその事実を知った瞬間は、人間に分身ができるなどという世にも奇妙な出来事に驚き、シュラは戸惑いもした。
でも、その手の奇妙な話が割と得意であるシャカに言わせてみれば、小宇宙とは生命なのだというたったその一言につきて終わったのだが、簡単だが妙に納得できるような気もしていたのだ。
本来なら命を生み出す為の行為を、生み出すことができない人間と行う。
感情としても本能としても、揺るぎなく純粋な愛情は存在するが、生命は絶対に生まれない。
生まれはしないが、結果に行きつくまでの過程の行為をし、生命になるはずの見えないパワーのようなものが高ぶりすぎて、ありあまる不思議な力となったとしたら。
そもそもが、命を生み出す、という「命」の概念こそ、一体始めに誰が創造し、与え、奪うのかと突きつめてみたら果てしなく答えが見えないものであるし、特に、一度死を体現して数度蘇っている身としては、より不思議で不可思議なものとしかいいようがない事だった。
生命の概念とはよくわからない、不思議なもの。
小宇宙とは生命というシャカの概念に当てはめるのなら、小宇宙もよくわからない不思議なものだ。
論理的なようでいて、突拍子もないのかもしれない仮説よりも、目の前の現実は奇だ。
シュラは、まるで真逆の髪の色、その瞳の色をよく見てやろうとおもむろに腕を伸ばし、金色の前髪を鷲掴んで引き寄せた。
『…オイ。離せ黒山羊』
鋭い眼光は、青く光る。
「黙ってろ、白山羊」
青い眼光と腹が立つほど陽に透ける髪を漆黒で覆いながら、シュラはまじまじと自分の顔を見る。
見れば見るほど自分の顔で、見れば見るほど自分ではないように思えてくるこの感覚は、ひょっとしてサガとカノンと同じような心境なのか。いや、気分的にはカノンともう一人のサガのようなものか。
シュラは、チッと小さく舌打ちをして、振り払うようにもう一人の自分から離れた。
カミュの時は、両脇に二人を抱えて幸せな気分で眠りについたら、翌日には戻っていた。
『なんだ、自分の顔に興奮でもしたか?』
「不気味なことをいうな。どうやったらお前がいなくなるか考えていただけだ」
『ふん。お前がそう思っても悪いが俺がいなくなることはない。お前は俺で俺はお前だからな』
「…そんな事はわかっている。サガともう一人のサガみたいなもんだろう」
『俺の割には察しが早いな。黒山羊。まあ、そんなところだ』
ククッと喉の奥から響いてくる声を聞きながら、シュラはやはり、と思う。
「…昨日のアレか…。」
小宇宙とは生命、生命とは小宇宙、というシャカの言葉がシュラの脳裏をぐるぐると回った。
『まあ、仕方ないだろう。しばらく耐えろ』
「しばらく?…しばらくとは…」
『ああ?いつ戻るかなんて俺も知らんし、わからんからな。せいぜい楽しんでやる』
「は?ちょっと待て、カミュの時は一晩で…」
『…そうなのか?』
「ああ。だが…」
おおいに身に覚えのある昨夜の自分を思い出して、シュラはうっと言葉に詰まった。
確かに昨夜は、朦朧とするぐらい行為の快感は凄まじかったと内心で思い返す。
快楽に溺れるという言葉は事実を表しているものだと感じるくらいに、カミュの身体に、湧き上がる快楽の熱に塗れて必死に息をした。酷く身体は熱かった。
『…別にお前を困らせる気はない。お前が困るということは俺も困るということだからな。安心しろ』
むっつりと押し黙ったままのシュラを無表情で見つめた金のシュラは、そう呟いて労うように肩を叩く。
『でも、まあよくはわからん』
「…もうすでに困ってる」
『そう言うな。シュラ』
「お前だってシュラだろう。よもや自分に自分の名前を呼びかける日がくるとは思わなかったぞ」
その手を軽く振り払いながら、シュラは全てを諦めたように溜息をついて、冷めはじめた珈琲に再び手を伸ばした。
一体何を、どうすればいいのだろう。
無理やりカミュから引きはがした後、裸でいられても困ると着せてやった黒のカットソーが、絶妙に似合っている。
それはそうだ、なぜならこいつは俺なのだから。
「…白山羊…な」
困らせない、この時シュラの隣で金色のシュラはそう言った。
だが、その言葉が大変なあやまりであったことを、シュラはのちに知ることになる。
珈琲にミルクを溢れないばかりにいれて、砂糖はティースプーン山盛りの三杯。
ワインよりも、ビールや甘いカクテルを好んでのみ、食後には必ずドルチェを食べないと気が済まない。
「カミュ。お前が食べたい」
「…私は食べることなどできないのだ」
耳元で囁く声も、背後から腰を抱かれて密着をしてくる感触も、カミュはとてもよく知っているものであるのに、ふとグラスを洗う手を止めて振り返れば、視界に映る色は違った。
「何故だ?…こんなにお前を愛しているのに?」
シュラの分身、もとい片割れのような金の髪のシュラが突然出現してから丸二日。
二日たってもいまだシュラは形を為して、佇んでいた。
キッチンの片づけをしている最中も傍を離れず、そっと腰に回る腕をやんわりと牽制し、カミュは小さく溜息をつきながらまたグラスを洗う事に専念をする。はじめこそこの奇妙な出来事と、髪と瞳の色以外は顔も声も瓜二つな男の存在に驚きもしたが、出現した大元の存在がカミュにとっての心を許す存在というのも相まって、二日も過ぎればだいぶ慣れもした。
「…そんなことをしたらまた喧嘩になるぞ?シュラ」
「その時は俺が返り討ちにしてやる」
「喧嘩をするのなら、ここではなく外かもしくは磨羯宮でして欲しい。昨日から何度喧嘩をすれば気が済むのだ。貴方達は」
「黒山羊がいちいちうるさいのが悪いんだ。俺は何も悪いことなどしていないぞ」
「シュラを困らせないとはじめに約束をしたのだろう?それは貴方が何か困らせているからではないのか」
カミュは、ミルクがたっぷりのカフェオレによってできた、グラスの側面の薄茶色の跡を泡で擦る。
普段なら、こうしてシンクに置かれる使用済みの食器も揃いのものが二つだけであるのに、そこへ違うデザインの食器がもう一つ分混ざることも、違和感がなくなっている。また、背後で機嫌を損ねたように押し黙り、押し黙ったあとに甘えてくるように肩先に顎をのせてくる仕草までもが同じだということにも気が付いた。
「シュラ…重いのだ」
カミュはふと手を止め、より一層至近距離で揺れる髪に目を細める。
手が泡だらけであるのに、柔らかく頬を触れる髪がこそばゆかった。
カミュの言葉には返事をせずに、金色のシュラは腰へ廻した腕の力を強め、抱き竦めた。
「困らせてなどいない」
首筋と鼓膜をくすぐるいかにも不機嫌をのせた吐息、その肌の奥にある心を許した体温。
「…そうか。…ああ、シュラ。すまないが、」
手が泡だらけだから水を出してくれないか、そうカミュが言い終える前にゆらりと腕は伸びてきて蛇口をひねった。
じゃあああ、と勢いよく飛び出した水がシンクの食器とカミュの手を濡らす。
「ありがとう」
カミュが小さく微笑みながら視線だけで見た金色のシュラは、むっつりと顔を顰めて青い瞳で水の流れをじっと見ていた。
お前のことなら俺だってなんでもわかっている。
そう言いたげなその表情を愛おしいなと思ったことは、シュラには黙っておいたほうがいいのかもしれないとカミュは思い、水の流れにグラスを浸した。グラスも手のひらの泡も、透明な飛沫と流れに包まれて落ちていく。
「今日はずっとお前と一緒に過ごしたい」
肌に直接吹き込むようにうずもれた声音で囁かれるのは、気泡も残さず潔く流れていく泡と同じで、嘘も偽りも騙りもないのだろうわかりやすく、素直で、真っ直ぐな言葉だ。
それはあっさりと、恥ずかしげもなくシュラの唇から零れ落ちる。
「…昨日もその前も一緒にいただろう。シュラと貴方と三人で」
「三人じゃない。二人きりでだ。黒山羊がいると、お前に触ろうとしただけでやかましいからな」
「貴方もシュラの事を怒っていたと思うが?」
「俺には駄目だという癖に、アイツがお前にキスをしようとするからだ。今日は夜中まで戻ってこないのだろう?それから外にも出たいんだ」
「外?…まあその気持ちもわからなくはないが、貴方が外に出たら大騒ぎになるだろう。シュラも今朝それをとても気にしていたから…まずいと思うのだ」
「二日間も宮に閉じ込められてもう飽きた。…その代わりにお前が一日中楽しませてくれるというのならここに居てやってもいいが?」
首筋へからかいと同意を促すように唇は触れる。
その感触に思わず肩をすくませてしまい、カミュは手の中から洗い途中の皿をつるりと取り落としそうになった。その素直な身体の反応に、背後から喉の奥で笑う振動が伝わってくる。
「いいだろう?カミュ。」
「なにがいいのか…私にはさっぱり…、あの、離れてくれ。皿が洗えない」
「皿など構わん。俺を構え。カミュ。ついでに黒山羊のことも忘れてしまえ」
「…貴方を忘れることなど、私には出来ないのだが」
一度落ちてきた唇が、次々に首筋を啄んでくる感触と次々に言葉を零していくのには気付かない振りをして、カミュは平然と言葉を放った。
外へ出たいという、シュラの気持ちもわからなくないのだが、出掛けに念を押すように外へは絶対に出すなという事と、絶対に気を許すなよと苦い顔で言ったシュラの気持ちもよくわかる。
この二日でカミュが気付いたシュラとシュラの違うところ。
わかるからこそ、この唇には抗いたいと思うのだが、正直、拒絶をするのを躊躇ってしまう感情もカミュの中に存在してはいた。
躊躇われてしまうぐらい、金色のシュラはシュラなのだ。それもシュラの分身なのだから当たり前の事なのだが、金色の髪と青い瞳はまるで別人のように見えて、だがそもそも元を辿ればシュラであるという事実が、カミュへ二人の境目をわからなくさせていた。
「俺もお前を忘れて生きることなどもうできない」
耳元で囁かれる低音と吐息の艶に、思わずカミュは平然を装った服の中で鳥肌がたつ。
もともと一人なのだから境目なんてものは、ないのかもしれない。
腰を抱く腕がゆっくりと下降して、足の付け根と大腿をやわりとまさぐる。
「は、離れてくれ。シュラ」
その感触にハッとして、カミュが諌めた言葉は勢いよく出続ける流水音に消え、消えた瞬間に背後から伸びてきた手が固く蛇口を閉めた。
離れてくれと言ったのに、シュラはカミュをシンクへと押し付けるように体重を掛けて身体を密着させると、流水を閉ざした手で穏やかに顎を捉る。
薄青の瞳で赤い瞳をも捕らえ、すかさず唇は熱を纏って、落ちてくる。
迂闊に隙を見せたこと、その隙をつくのが得意な彼も怒るだろうか。
教皇の間の厳粛なる執務室にある壁時計は、真鍮の文字盤に12の星座を表す巨大な火時計のサン・サインを掘り込んだデザインになっている。灯っては一時間ごとに消えていく火の代わりに黒い長針と短針があり、規則正しく一秒を刻む秒針は文字盤に溶け込むような燻された金色だ。
シュラは長針と短針の間を眺めて、溜息をつく。執務机の端によけたカップに手を伸ばす。
ブラックの珈琲はもうない。だから先ほどカップを端によけたのだ。珈琲を口にするのを諦めてぼりぼりと頭を掻き、昨日アイオリアから引き継いだ書類に脱字を見つける。書き足す。ペンのインクがない。シュラは時計を見る。どうも集中ができなくて文字は目から入って溜息で抜ける。先ほどから時計に目をやっても秒針を見ないようにしているのに、機械仕掛けの時を刻む音は滑らかに、でもやたらと耳に残った。
そして少しも進んでいない。
「…あ~らら。どうしちゃったのオマエ。そんなに時計ばっかり見て…ここにこんなのつけちゃって。…浮気かあ?」
書類を渡しにくる振りをして、肩を叩かれて、叩かれたあとにシャツの肩口を優しくつままれて、シュラは思わずデスマスクの手を鬱陶しげに払った。
執務中であるということをわきまえたシュラの身振りは、普段に比べて小さなものであったから、華麗にデスマスクは避け、空気だけが揺れる。
「浮気?浮気とは一体どういう意味だ」
「あー?浮気?…浮気ってのは、心で愛を囁く奴がいるのに、あと腐れなく、楽しく甘い、めくるめく欲望の時間を過ごしたくなることじゃねえ?」
「お前の浮気心の定義なんぞ知りたくない。お前は愛を囁いてたってめくるめく欲望に塗れた時間を過ごしているだろう。そうじゃない。浮気とはなんのことだ」
「またまた…この俺様にまでシラきんなくてもいいじゃねえか。案外口は堅いんだぜ?」
「お前の口が頭と同じぐらい緩いのはもう百も承知だ。安心しろ」
ひらひらひらと嘲るように書類を目の前で振られ、ちらちらと紙の隙間から見え隠れするデスマスクのニヤリ笑いにシュラの眼光はますます鋭くなる一方だった。すかさずデスマスクの手から書類をひったくり、思わずくしゃりと丸めそうになるのをぐっと堪える。そんなシュラの表情と行動に、ますますデスマスクは瞳を細め、唇の端は上がったままになった。
すぐ、シュラはむきになる。
「そうかそうか。まあ、経験は積んどいたほうがカミュの為にもなるからな。俺は応援すんぜ。そんで金髪のカワイコちゃんはなんて名前だ?オイ」
「きん…ぱつ?」
「この長さはショートだな。お前の好みはロングかと思ってたけど、短いのもたまにはいいってか?」
でもまさかお前が浮気とはねえ、と呟いたデスマスクの言葉はもう、シュラの耳には入っていない。
書類はもう手の中には残っていないのに、デスマスクは自席にも戻らずに、たった今しがた手に入れたものを翳してしげしげと見つめていた。
太陽の光でなくとも、人口の光に透けるそれは繊細な一本の、毛。
「服に髪の毛残す手口を使うなんて相当デキる奴だなコイツ。お前も対外迂闊なんだからよ?…気をつけねえと修羅場だ修羅場。…シュラなだけに~?ってか!」
シュラの心境を逆なでするような笑い声と共に、デスマスクは先程シュラの着ていたシャツに張り付いていた金色の髪の毛へ、ふっと息を吹きかけて飛ばす。
「そ、そんなでかい声だすな!貴様!」
「ええ~?だってこんな楽しい事俺の胸だけにとどめとくなんて辛くて辛くてしょうがねえじゃん。…で、どこで引っ掛けたの?」
「だから!俺は浮気なんぞしていないと言っている!頼むからお前と一緒にするな。浮気などそんな聖闘士の風上にもおけないことを…」
「そんなに頭のかてえお前が浮気とはな。傑作だぜ。まあなんかあったら言えよ。バレねえように欺く相談ならいつでものってやる」
と、心底楽しそうに言い放ったデスマスクの事をシュラはどうしても殴ってやりたい衝動に駆られ、思わず執務机を拳で叩いた。静寂とまでは行かないものの、わりと静かであった執務室に、ドンっと大きな音が響く。次の瞬間シュラが感じた視線は、デスマスクのものと合わせて四人分だった。
「どうしたんだ?シュラ。デスマスクの書類に何か不備でもあったか?」
「い、いや。なんでもないんだ。サガ。気にしないでくれ」
そんな態度を訝しく思い、ピクリとあがるサガの片眉も他の視線にも全てに気付かない振りをして、シュラは黙れと言わないばかりにデスマスクの事を睨みつけた。
ちゃんとやりなさいと、まるで幼子へ言い聞かせるようなサガの言葉にデスマスクは軽く手を振って応え、集まっていた視線はまた分散する。
「おお、怖。…そんなに突っ込まれたくなかったら、髪なんて服に着けてくんじゃねえよ。浮気してねえっつんならなんの毛だよソレ。誰のだ?」
「山羊の毛だ。最近…一匹飼い始めてな」
「へええ。そんな金髪の山羊なんているんだな。…つーかお前さ、マジでもうちっと嘘つくならマシな嘘つけねえの」
嘘じゃない。強いて言うなら金の山羊ではなくて白山羊だ。
デスマスクのあからさまな呆れの溜息と言葉に、シュラは内心で答える。
今直面している事実を包み隠さず話したところで、信じはするかもしれないが、信じるだけに終わらないのがデスマスクという男であるということを良くも悪くもシュラは知っている。
「別によ。お前が浮気相手とどうなろうが俺にとっちゃ面白いだけだから構わねえけどさ。髪の毛服につけるような女?男?だろ。食ってたつもりがお前が食われねえようにしろよ。あんだろ。歌で」
「…歌?」
「ほら、アレだ。なんだけっか、白山羊と黒山羊が手紙書いてどうのこうのっていう…ミロが一時期すげえ歌ってたんだよな。結局、白山羊も黒山羊も届いた手紙食っちまう歌」
「知らんな」
アレだ、アレ、と見えない頭の中の記憶を数えるように、デスマスクの人差し指が宙を叩く。思い出せない歌などシュラにはどうでも良かったが、突然出てきた白山羊という単語に妙な胸騒ぎがする。しばらく鼻歌で小さくメロディーをなぞっていたものの結局デスマスクは諦めて、忌々しいとも苦渋とも形容できる険しいシュラの額をそのまま人差し指で小突いた。
「まあ、さしずめお前は黒山羊ってとこだな。その可愛い白山羊ちゃんにとって食われないようにしろよ。…山羊座の黄金聖闘士様が山羊に食われてました、なんてのがバレたらとんだ醜聞だろ。宝瓶宮は永遠に無人の宮になっちまいそうだし。あいつにシベリアへ籠られたら夏困るだろ」
嘘をつくのがうまい奴は、妙に嘘に対する鼻もいい。
シュラは確か嘘はついていないが、真実を言っているわけでもなかった。
山羊は確かにいる。たった今、もう一人の山羊座の男が宝瓶宮に。だが、別段そこが問題なわけではなかった。
デスマスクの人差し指が、時として冥府の縁へ強制的に魂を誘うことができるものであるから、妙な胸騒ぎが嫌な予感になったわけではないと思いたい。
思いたいのだが、今宝瓶宮にいる白山羊は、よくしゃべりすぎて愛を囁きすぎてむずがゆくなる。
シュラは、今しがた眉間をからかうように突かれた瞬間の苛立ちも忘れて、もぎ取った書類を再び元の持ち主へ押し付けると勢いよく席を立つ。
静けさが満ち初めていた室内へ、またガタンと威勢のいい音が響いた。
「どうした?急にお前」
「俺は。…俺は腹が痛いから宮へ戻る!」
そう言い置いた次の瞬間、デスマスクの目の前には、きっちりと机上を整えられた空席の執務机しかなかった。
舌を吸われ、甘く噛まれる長いキスが終わっても、シュラの唇は首筋や顎を啄み、耳朶を弄ぶかのように、吐息と擦れた低音は吹き込まれ続けている。
「ここはもう張り裂けそうで痛いんじゃないか…?カミュ」
背中越しに擦り付けられる中心の昂ぶりと、軽やかに脇腹を手繰っていた手のひらが、臍を伝ってするりと下着の中に侵入してくる感触で、カミュは我に返った。
流水によって濡れていた手はもう、シンクの縁で乾いている。
片手で背後の重みを和らげながら、カミュは赤い爪に彩られた手をシュラの腕に這わせて押しとどめた。
「いけない…シュラ…本当にもう…駄目なのだ」
視線だけで背後のシュラを射抜き、カミュの肩から一房赤い髪が流れ落ちる。シュラの指先はすでにカミュの茂みを掻き分けて、熱を帯びだした中心の根本へ到達していた。
「駄目じゃない。お前は口にしてくれないが、お前のここは俺を愛していると言っているだろう。…もうこんなに熱い」
身体を触れられながら、絶えず聞こえる直線的な愛の言葉を耳にする度、カミュは一瞬にして血が沸騰するような感覚に囚われて身悶えてしまいそうになっていた。シンクについた腕の力を意識しないと身体の力が今にも抜けていきそうで、身に起こっている変化が恥ずかしさからなのか、与えられている快感によるものなのかすら、ぼんやりと蕩けはじめる。
「あっ…う……」
シュラの手のひらが、カミュの薄い抵抗を引き連れたまま、直に中心を包み込む。
咄嗟に漏れた声を聞かれたくなくて、カミュは両手をシンクにつき、項垂れるようにして唇を噛んだ。
「どうして俺と二人きりの時は聞かせてくれないんだ。黒山羊には散々聞かせているのに…俺では嫌なのか」
「…っ!」
低音が更に深く擦れて、手のひらが形を為したカミュを握り込み、苛立ったように荒々しく熱を高めようと動き出す。
肌と肌が擦れあう摩擦の熱はそのままカミュの堅い昂ぶりとなり、濃密な液体となって零れ落ちはじめ、閉ざした下着の中で細やかな淫靡の水音と共に籠った。
シュラは肩を丸めて震えるカミュの頭頂部に唇を落として、そのまま髪を伝って再び耳朶へ戻る。
「こんなに濡れていやらしい音がするのに、お前は俺では嫌なのか…答えろ。カミュ」
「…っ…駄目……だ…」
「駄目?お前は先程から駄目としか言わない。何が駄目なのだ。俺が嫌だ、と言わない限りやめない。…まあ、言われてもここまで来たらお前を吐き出させるまでやめる気はないがな」
張り出した括れの部分を二本の指で挟まれて、先端だけを布に擦り付けるようにぐりぐりと動かされると、カミュはたまらなくなって喘ぎ、シンクへついた腕がガクリとくずおれた。
片手で腰を支え、シュラは背後から覆い被さるようにして、くちゅりくちゅりとわざと音を立てるように指先を蠢かせる。
鼻先で髪を掬い、あらわれた項に吸い付いて、噛む。
「ほら…もうお前の愛らしい部分がたまらないと泣いている。俺も早くお前の中にこの熱を注ぎたい」
思うさまシュラが情熱の言葉を囁いて、唇の跡を残す肌は汗が滲み、しっとりと潤っている。
はあ、はあ、と荒くなるだけの呼吸と、腰を抱いていた手が服をするすると捲り上げていく衣擦れの音が絡み合って、ますますカミュの心を掻き乱していく。
ずっと囁かれ続けるのは、愛の言葉。
言葉を紡ぐ声も熱も感触も「シュラ」であるのに、「シュラ」ではなく、それを頭ではわかっているのに、その声で嫌かと囁かれて、嫌だと言えない心の火と欲望。
これほどまでに欲望が生まれるのも、快楽を与えられて嫌だと抗えないのも、カミュにとっては「シュラ」以外にありえるはずがないのに。
「シュラ」は愛の言葉を囁き続ける。
「ああ…シュラ…」
晒された胸元の尖りを爪の先で掻かれて、カミュはシュラの胸へ凭れ掛るように仰け反った。シンクへついていた片腕で咄嗟に髪を引き寄せて自らの肩口へ誘い、頬を摺り寄せる。
途端に包み込まれる、よく見知ったシュラの香り。
手指が覚えているシュラの髪の手触り。
「愛おしい。カミュ。…この愛をどうしたらいい…どうしたらお前に伝えられるんだ」
縁が霞む視界の中で、金色の髪が柔らかく揺れ、薄青の瞳が髪の穏やかさとは裏腹の色をのせて反らすことなく見つめてくる。
愛を囁き、情熱に光るのに、その瞳からは堪えられない切なさが胸を突き刺し溢れているように見えて、カミュは身体のどこか奥底を抉られるような感覚に陥った。
視線でしか伝わらない感情も、瞳も、カミュはとてもよく知っている。
その視線を与えられ、胸の内を抉られることは苦しささえ覚えるのに、その苦しさすらも冴え冴えとした快感に思う。
カミュはそっと瞳を伏せた。
閉ざされた瞼の上へ慈しむような唇は落ちてくる。
その裏に浮かぶのは、必死に抱き合っている最中に時折見せる、漆黒の情熱に塗れた眼差しと体温。
それに名前を与えるとしたら、この世にはたった一つしかないものであると、カミュは思った。
今カミュの目の前にあるものは、紛れもなくその名前を与えられたもの。
うっとりと閉ざされ、誘うように開かれた唇をシュラは貪り、胸元で赤く綻んだ尖りをまさぐるように撫でまわす。
「んっ…!んン……ッ…シュラ…」
言葉で伝えきれない想いを煩うもどかしさが、シュラの手を一層力強く、激しくさせる。
合間に囁かれていた言葉はもう、ない。
シュラなのだ。
そう思うカミュは夢中でシュラの唇を貪った。腹の奥底から何かが溢れだしてくるキスをしながら、ビクリと震えたカミュの先端をシュラは手のひらで覆い、その瞬間を待った。
全てを預けて腕の中で妖しく反った身体を強く抱き締める。
とろとろと手のひらに漏れる情熱の蜜。艶めかしく潜んだ眉根。
「カミュ…愛している…」
その全てに心を奪われて、シュラは浮かされたように言葉を紡いだ。
「あ、ああ…ハッ……ん…ううっ!」
そして手のひらに勢いよく吐き出されていく白濁が、次々に垂れて太腿を伝う。落ちる滴の熱さにふるりとカミュは震え、薄く瞳を開けた。
「…お前達…何をしてるんだ…」
次の瞬間、視界に端に映った金色の向こう側の漆黒。
愛を囁くのと寸分たがわない声音。
愛していると熱に浮かされたはずの声が、まるで幻覚に囚われたような力の抜けて浮かされた声になった。
宝瓶宮のこの場所へ淫靡な空気をもたらしたのはシュラであるのに、それを断ち切ったのはシュラである。
カミュは下半身が冷たさと熱を孕んだ空気へ晒されるのを感じる。
あっという間に滑り落とされた服に足が埋もれる。
もう、この腕から逃れることはできない。
何故、ともう一度呆けたようなシュラの声が聞こえた。
「…何故だと?…そんなことは決まっているだろう。黒山羊」
背後のシュラがシュラへ放った声は、今までのもう一人の自分をからかうようなものでも不機嫌なものでも嘲るようなものでもなく、酷く冷静で穏やかで、まるで諭すような、そんな風にカミュは思う。
やっと落ち着きを取り戻し始めた呼吸は、でも次の間、吐き出した昂ぶりを覆われながら勢いよく反転させられる事で、不意に途切れた。
カミュは小さくあッと驚きの声を漏らす。
シンクへ凭れたシュラの胸元へ凭れかかるような体勢にされ、シュラの眼前に濡れた太腿から、指の隙間からゆっくりと床へ垂れ落ちるものまでを全て曝け出されてしまった。
嫌な予感が予感ではなかった事実も、何故かと、決まっているだろうと問われたことも、無意識に飲み下した嚥下で、全ては腹の奥底に沈む。
熱に染まり上気する肌の艶、興奮しきった欲情の赤、ぽたぽたと指の隙間から落ちて、さざめくように太腿を震わせる快感の滴。
その全ての快楽を与えたのは己の手ではないのに、鮮明に繋がった内なる興奮に、シュラは思わず息をついた。
誰かにカミュを乱されるようなことがあれば、シュラの胸は怒りに震えるはずなのに、胸を占めるのは初めて合間見えた俯瞰からのカミュの媚態だった。
カミュの瞳がゆらりと開き、シュラを見る。
濡れた唇から、興奮に色づいた赤い粘膜がちらつく。
「っ…シュラ…」
上擦った声が名前を呼ぶ。
それに重なるもう一人の声が、シュラの脳内で残響のように響く。
「愛おしくて仕方がないのだろう」
そんなことは当たり前だ、そう胸の内で思う間に、足は勝手に二人へ向かって歩みはじめた。
「アッ!…あっ…ん…」
シュラの目の前で、シュラの手が双丘を掴み、カミュは喉元を晒して喘ぐ。打ち振るわれた赤い髪が、残像を残す。
「カミュ…」
浮かぶ興奮と、それでもちりちりと胸の端が焼きつくような思いがするのは、もう一人の自分への嫉妬の心であるのだろうか。否、嫉妬だ。
シュラは、腕を伸ばしてカミュの高鳴る鼓動へ直に触れる。
仰け反った顎先に手を添え、快感に乱れた顔をじっと見つめ、それから背後の金色と、薄青い瞳を見た。
シュラは、シュラへ問いかける。
「俺はカミュを愛している」
シュラは恐らく同じ炎を宿しているだろう、その瞳をじっと見据え、それからカミュの瞳を覗き込んだ。赤色に混ざり合ってそこ映るのは、紛れもなく己自身でしかなかった。
「…っ…」
薄く唇を開き、もう一度言葉にしようと思った事を声にだしかけて、だが、シュラはきつく唇を引き結ぶと、頬に触れてきたカミュの手を握りしめたままゆっくりと重ねた。
閉ざされたカミュの唇を舌先で押し開き、咥内へ侵入した途端に絡められる潤んだ舌先。
喉の奥に押し込めた音を一つ一つ伝えるように穏やかに蹂躙し、吸い上げれば、まるでカミュの返答のような甘い声が耳に響いた。
「カミュ…」
ふと瞳を開けて呼んだ名前に、カミュも花が綻ぶように瞳を開き、小さく微笑んだ。
「シュラ…」
ああ、お前はそれでいい。
互いに視線を交わし合う二人へ、もう一つ声が混ざった。シュラの唇が弧を描いて、金色がカミュの肩越しに揺れる。
「…酷く卑猥な顔だな。黒山羊。俺なのに…そそられる」
カミュを間に挟み、突如接近してきた白山羊の唇と薄青にシュラは視界を奪われて、咄嗟に瞳を閉じた。
明け方の微睡みに沈むベッドが突然ギシリと揺れ、シュラは、はっと瞳を開けた。
ぼやけた瞳に映る暗闇の天井が、やたらと背中を濡らす汗へ神経を巡らせる。
ドクドクと胸を打つ鼓動がやたらと鼓膜に響くことへ一瞬身震いをしてから、身体を覆っていた毛布をどけて、反射的に手探りでベッドの中にあるもう一つの体温を探った。
シーツの上に散らばる長い髪、規則正しく息をする身体、柔らかな肌の感触。
それから、このベッドの上にもう一つ体温がないかに目を凝らす。
でも、いくら目を凝らしても暗闇だけで、ベッドを占める体温が二つだけであることを確認すすると、シュラは力が抜けたように再びシーツへ沈んだ。
徐々におさまっていく鼓動をゆっくりと数え、額へ当てた自分の手のひらの温度で、意識はだんだんと落ち着いてくる。
先程触れたカミュの肌がしっとりと水分を含んでいたのをみると、眠りについてからまだいくらもたっていないのだろう。
(…夢、か…)
思わず跳ね起きるほどのそれが事実か夢なのか、一瞬わからなくなるような鮮明すぎる内容に、思わず内心で独りごちた。
夢にまで見るほどカミュは乱れていて、それほどまでに激しく抱いたのかと思うと、シュラはだんだんと、いたたまれない気分になってきた。そのいたたまれなさの中には、見た夢の最後が自分で自分に唇を奪われそうになったところで目が覚めた、というのも多少あったが大半は隣にある体温へむけてのものだった。
時折胸と身体を侵食される、この手の中にあるのにも関わらず、どうしようもなく存在を切望してしまう思いと、それに抗えず欲に塗れるままに求めてしまうこと。
つい眠りにつく前までの自分はその感情を剥き出しにしていたような気がした。
事実、結構な勢いで跳ね起きたはずなのに、抱かれ疲れたのかぐっすりと眠った気配は乱れない。気配には、恐ろしいまでに敏感なはずの身体であるのにだ。
シュラは、もう一度毛布をかぶり直すと、背を向けて眠っているカミュの身体を抱きこむように腕の中に収めて、素肌の腕と足を絡める。
それでも何も返ってこない反応が、切ないようでいて、だが愛おしいと思った。
温かいもう一つのぬくもりへ顔を埋めて髪にそっと唇を落とすと、シュラは瞳を閉じ、深く呼吸をする。
一人ではない二人で微睡むベッドの上は、酷く心地がいい。
目が覚めたら、二人で風呂へ入り、一日ゆっくりと過ごすのもいい。
そんなことを考えているうちに、シュラはあっという間に再び眠りに落ちた。
隙間から差し込む光は高さを増して、夜が明けてくる。
眠る二つの身体に、規則正しく重なる寝息と、静寂に包まれた宝瓶宮の寝室で不意に揺らめいた影は忍び寄り、じっと寝顔を見おろした。
その視線の色は、差し込んだ太陽の光を反射して薄青に輝き、やれやれとでも言うように、竦ませた肩に触れた髪は、透けるような銀色がかったプラチナブロンドだった。
男は、小さく身じろいだカミュの吐息を耳にして、薄く微笑む。
そして、ゆっくりと二人が眠る毛布の中に手を差し入れて――。