体は子供、意識は大人
目が覚めると、とてつもなく気分が悪かった。
いっそ激しく痛めばいいのに、胸の鼓動にあわせて頭の中に響き渡るような鈍い重みに、自然とシュラの眉根は歪んだ。
こめかみを荒っぽく、親指の腹で押さえ込む。
寝起きということもあり、ただでさえ常時の半分程度になっている意識は、気分の悪さで三倍動きが遅い。
どうしてこんなに頭が痛いのか。
押さえた指でこめかみを揉みながら、シュラは原因を探った。
まず、この寝床はどこにあるものかを考える。
昨晩は確か、予定よりも外界での任務が早く終了して、まだ日があるうちに聖域へ戻った。
完了の報告へ赴いた時に、カミュの姿も見かけて、声をかけようとしたのだが、執務中であるからと思いとどまった。
それから磨羯宮へ戻ったのだから、これは自分の寝床か。
そう思った矢先に、シュラは自らが纏っている寝間着が身に覚えのない肌触りで、やはり宝瓶宮の寝床であることを思い出した。
そうだ。自宮で時間をもて余して、カミュの執務が終わる頃を見計らって、隣の宮を訪れた。
勝手に侵入して、勝手にキッチンを漁り、二つのグラスと目についた酒瓶をとって、勝手に居住区のソファに転がりながら飲んだ。そうしているうちにカミュは戻ってきて、途中で気づいていたのだろう不法侵入に呆れながらも共に酒を飲んで、それで。
それからと、シュラは思う。
隣に眠りの痕跡はあっても、カミュの姿はなかった。
酒を飲んで、言葉を交わして、寝ただけだから、この体調の悪さは酒が原因としか考えられなかった。かなりの量を嗜んだとしても、翌日まで酒が残ることは滅多になく、気付かぬうちに羽目を外したか、昨晩は自分の認識よりも体が疲れていたのか、はたまた体調がよくなかったのだろうか。
己の不調にも気づけないのは、聖闘士としてはあるまじき行為である。シュラは次第に悶々と思考が止まらなくなる。
崩れるほどに弱い体調が問題だという答えにも至り、鍛練をせねばならないという気持ちに駆られた。
同じ酒を飲んだのだから、もしやカミュも寝起きに気分の悪さを感じて思案をし、結論にたどり着いて、早々に鍛練に赴いたのではないか。だから、すでに隣にはいないのだ。
シュラは、俄然寝床から抜け出す気になって、勢いよく体を起こす。ずきん、とこめかみが痛む。
腹からせり上がってくる嗚咽をなんとか飲み下して、寝床から降りる。
足をついた瞬間に、妙な感覚が襲う。いつもよりも、床が遠いようなそうではないような。
シュラは首を傾げながら、それもこれも体の不調が生み出す、ささいな肉体の不和なのだと思う。
まずは水を飲もうと一歩を踏み出して、
「ーーーっ!うぉっ!!」
足をとられて、盛大に床と逢瀬をかわして、唇から顎を強打した。
「な……、い、いてぇ……」
じんじんと痺れるように熱を帯る口元の痛みと、まさかなんでもない平坦な床の上で転ぶなど、という自尊心が叫びをあげて、気分の悪さを吹き飛ばす。
べちゃりという、転んだ瞬間に己の顔面が放った音が、耳の奥で責め立てるように反芻される。
一人でよかったような悪かったような、妙な恥ずかしさをひっそりと抱えながら、シュラはそそくさと立ち上がって、また布のようなものを踏んで、尻餅をついた。
「は?」
咄嗟に漏れた疑問は虚しく響く。
二度目の転倒は、痛みよりも恥ずかしさよりも何よりも、わけのわからない怒りを連れてくる。
激しい舌打ちと共に、何に怒っているのかもわからぬままシュラは立とうとした。また布が邪魔だ。何故こんなにも服が絡まってくるのだろうか。
あまりにも腹は立ち、寝間着など引き裂いてくれると、シュラは足元に手を伸ばして、はたと気づいた。
足首にまとわりついているのは、どう見ても下着だった。
そして、目に飛び込んできた己の指も腕も、やけに短かった。
脳内を刹那に埋め尽くす疑問符にまみれたまま、ひとまず下着という、足首に絡んだ布を取り払って立ち上がるも、剥き出しのはずの下半身は、丸出しにはならずに寝間着の中に隠れたままだった。
「あ?」
ぼんやりと覚えているのは、昨晩眠る前に、カミュに無理やり着せられた際の、窮屈な首もとの感触だ。Tシャツのサイズが小さい、きついというような、文句を吐いた記憶もある。それなのに、今はやけに寒々しいような、布と肌の間とのゆとりがあるのだ。
乾いた大地に咲く花が、僅かな水を余すところなくその根で吸い上げていくように、シュラの疑問はじわじわと、されど確実に、混乱に浸されていく。
戸惑いという養分をたっぷりと吸収して咲く花の名前は、現実だった。
べたべたと己を体に触れる度に、シュラは冷や汗が止まらない。
あれほど時間と手を掛けて鍛え上げた張り詰める胸筋が、薄い。
二の腕が柔い。
戦いの場を光の速さで駆け抜けて、重力をものともせずに蹴りあげる腿は、心もとない。
認めたくない事実を無我夢中でごまかしていると、孤独な寝室の扉をそっと押し開く気配があった。
「起きたのか」
シュラは耳慣れた声につられて、顔を上げる。でも、その音にはまた、寝床から降りた時のような奇妙な相違があった。
視界に広がる景色も、どこか常に見ているものとは異なる気がする。
シュラの着々と増えていく違和感は、最も見慣れているはずの姿を目にした時に、一瞬で吹き飛んだ。
どうしようもなく絡む視線の先で見つめてくる瞳は、薄暗い室内でも赤い。知ったる赤は無意識の安堵をよこす反面、肩先を隠す程度の髪の長さが、それを蹴散らす。
何よりも腰から下を一枚の布で隠しただけの体は、シュラの記憶にある彼の姿よりも引き絞られて締まってはいるものの、手のひらが覚えている線とはまるで違った。
目前の姿としばし無言で見つめあっていると、こくりと「少年」の、淡く浮き出る喉の骨が動く。
「やはり……貴方もか」
視覚とあわせた聴覚は、殊更の耳慣れぬ違いをあらわにする。
いつもよりも僅かに高い少年の声が、滑らかに鼓膜を揺らして、神経をざらつかせた。シュラは動かぬ喉へなんとか力を込めて、言葉を押し出す。
「誰だお前」
無理を強いた唇は、心の中の叫びを躊躇うことなく響かせる。
いや、そうではないと咄嗟に付け加えても、すでに後の祭りだった。
あどけなさと幼さを残しながらも、少年はカミュそのものに間違いなかった。酷く懐かしい記憶の底にある顔と、見慣れた顔が頭の中で重なって、それを知らない誰かであるとは到底思ってもいない。けれども、不遜な一言を発したことには違いなく、カミュという名の少年は、怪訝そうに顔をしかめて、唇を尖らせた。
「今の言葉は、そのまま貴方に返したいところだが」
不満そうに言い放つ音と、大人びた言葉使いはちぐはぐで、釣り合いのなさが余計に謎を大きくする。
「俺は……、俺だろ」
苦しまぎれの答えに、カミュは呆れたように大人ぶって息を吐き出すもふと頬を緩め、懐かしむように目を細めた。
「ああ。そうだ。シュラなのは間違いない。でも、私は貴方を知っている。その頃の声も覚えている」
懐かしい、と今度こそカミュははっきりと口にして、感慨深く眺めるような視線を投げてきた。その頃とは。
「お前はカミュだろう?」
静かに近寄ってくる半裸の少年を呆然と見ていると、まだそんなことを言うのかといわんばかりに苦笑する。
「あえてここは否定をしたほうがよいのだろうか。私もついさっきまで混乱を極めていたのだが、さらに惑う貴方を見て、落ち着いたのだ」
「わけがわからん」
「どうも私達の体は、幼くなってしまったようだ」
カミュはさりげなくシュラの手を取ると、誘うように寝室をあとにした。
「ちょ、ちょっとまて」
手を引かれて歩むことで思い出すのは、何も身につけていない下半身の清涼感だ。ちらりと視線だけを投げてくる横顔は幼い癖に、咄嗟に片手で覆った布越しのそれを見る。
「……やはり衣服は明確な問題なのだ」
「何を言ってる」
気分の悪さは徐々に薄れてはいるものの、もしやこれはまだ夢の中の出来事なのかとシュラは思う。そして、連れていかれた浴室の洗面台の鏡の前で、カミュはしみじみと口を開いた。
「正直、私もこれは幻か夢うつつの類いであるかと思ったのだが百聞は一見にしかり。その目で見たほうがよい」
促すように背を押された先で、シュラはようやっと、数多の答えをみつけた。
寄せては返す違和感のさざ波を、あますところなく飲み込んだのは、驚愕という大波だった。
「…………誰だこれは」
「うむ。シュラである」
「は?俺は……俺か?!いや、俺であるのは確かだが……」
カミュと鏡を交互に見遣って、鏡の中の自分を確めるようにべたべたと触れるシュラを、憐れみと納得と、同意に満ちた幼い眼差しが見つめていた。
「私の記憶が確かなら、恐らく10歳程度の……貴方だと思う」
「10歳……?!10歳だと?!どうしてだ……!!!」
「うむ。わからぬが…目が覚めたら酷く不快な気分で、水を飲みにいく途中に私もこの姿に気づいた」
カミュはそう神妙に囁き、そこではじめて困惑を見せた。
「いや、10歳というか……俺は俺だ」
「うむ。私も私だ。体は幼いが意識は以前のままなのだ。何も変わらぬ。その口調と様子だと貴方の意識も幼くはないな」
目に見える事実と体現する感覚を足したところで、やはり現実以外の何ものでもない。
下半身もむき出しになるはずだ。寝間着にゆとりができるはずだ。いくら差があろうとも、10歳程度の自分よりもカミュは余程体格がよいに決まっている。
「10歳……」
諦めも悪く漏らした声に、あどけないはずのカミュは、真顔のままで頷いた。
「こうなった原因を語り合いたいところではあるが、私達には当面の大問題が差し迫っている。……貴方も執務であろう」
身につけることができる衣服もない。ましてや下着でさえも。
それ以前に、こんな異様な現象にまみれた姿を他の奴等に披露するなど絶対にしたくない。過酷な現実に気づかされて、一旦はひいた冷や汗が、再びシュラの薄い背中を伝った。
「……今日は体調が悪いことにする!」
揃いも揃って二人同時に体調が悪くなるという言い訳は通用するのか、と心配するカミュをよそに、シュラはすぐさま小宇宙で教皇の間の気配を探り、アイオロスにさりげなく二人分の不調を訴えてはみたものの、いとも簡単にあっさりと「朝から冗談の練習でもしているのか?やる気に満ちた一日の始まりに元気でよいことだ」と、それこそ本気なのか冗談なのかわからない返事をされて終わった。
「……行くしかあるまい」
一気に重苦しくなった空気を断ち切ったのは、カミュだった。
「しかし、どうやって……着るものさえない」
「ひとまずシーツにくるまれば、全裸は避けることができる。ここはいっそ皆に助けを」
「いやだ」
「また貴方は…すぐ子供のように拒む」
「子供だ!子供で何が悪い!俺は今、10歳だからな!」
「意識は23歳なのだ」という呆れた声を、シュラは10歳なので聞こえないことにする。
「皆が協力的でとても助かった。やはり明かして良かったのだ」
ほとんど執務にならない執務を終え、再び宝瓶宮に戻ってきたところでカミュの嬉々とした声を聞き、シュラは過ぎた時間をふん、と鼻先で蹴散らすしかなかった。
絶対に行くかとごねてはみたものの、それなら一人でも執務に行くときかないカミュから説得をされて、渋々従った。
どちらかでも一人がその姿を見せた時点で、ことの全てを知られるのは時間の問題だからだ。シーツの端を多少引きずりながら行った先で、騒然としないわけもなく、嘲笑と興味と、好奇の接触に晒された。
あれが助けだったのだろうか。
シーツに穴を開けて適当な長さに切り、紐で縛れば簡易的な服になると渡された麻紐は、確かに役には立ってはいるけれども、面白がってミロが切ったシーツの服は、これでもかというほど裾が斜めに曲がっている。
「協力的だったか?俺は頭を撫でられすぎて、頭皮がヒリヒリする」
「中身は変わらぬことを忘れるほどに、面倒をみてくれたのだと思えばよい」
カミュも同じシーツ服を与えられて、その裾は同じように不揃いだった。
「……面倒をみる、とは……」
ついぞ溢れた不満は、カミュには届いていなかったようで、簡単な食事を準備すると言い残して、キッチンへ行ってしまう。
何も変わらぬようでいて、自分の体が視界に入る度に不自然さを感じるし、ことあるごとにーー例えば書類を渡しに行っても、横を通っただけでもーーさも当たり前のように頭を撫でられることは、終始落ち着かなく、疲労が倍増した。
カミュもやたらと頭を撫でられ、さらにはアフロディーテの膝に乗せられて執務をこなすという事態であったのにも関わらず、それを「面倒見が良い」で片付けることができるのは、何かしらの特別な才能なのではないかと、シュラは思う。
そういえば、やけにアフロディーテがカミュを甘やかして、可愛がっていた。あれはどう考えても見せつけていた。
若返った姿のカミュを愛らしいと思ったのもまた事実であるのだろうが、カミュを膝に乗せたまま、ちらりと寄越してくる得意気な視線には、膝上に乗せることができるという大人の余裕と、どうだ羨ましがれという勝ち誇った笑みしかなかった。
執務には、シュラが絶対に会いたくないもう一人もいて、ニヤニヤと笑いながら馬鹿にするように何度も絡まれた。
否、実際に馬鹿にされたのだ。しつこく何度も頭を撫で、隙あらば、抱っこしてやろうかなどと戯れ言を吐き、抱えようとしてきた。
最も会いたくない今日に限って顔をあわせてしまうのは、呪われた悪縁のせいでしかない。
思い出せば思い出すほど苛立ちは募り、シュラは八つ当たりの代わりにソファへ乱暴に体を投げ出す。
カミュが用意をした缶詰とシリアルという簡単な食事をだらだらと摂取すると、無性に酒が飲みたい気持ちになる。体は10歳だが意識は23歳だ。
ワインが飲みたいと言うと、カミュはふと思い出したように相槌を打った。
「ああ、そういえば。私達が幼くなった原因なのだが」
酒を求めたことへの答えにはなってはいないけれども、聞かざるを得ない話だった。
「なんだ。何が原因だというのだ」
「恐らく昨日、私達が口にした酒瓶の中身だと思う。執務の際にも改めて確認をしたのだが、あの酒は先日、アフロディーテから土産に貰ったものだったのだ。デスマスクとの任務の先で見つけたと」
「俺は貰ってない。なんで俺には寄越さない」
「それは恐らく、貴方と私とで飲めという意味であるのだと思う」
聞けばその酒は、「若返りの泉」とやらを調査に行った悪友達が、これみよがしに若返りの酒だと銘打って売られていたものを手にいれたらしい。
「……赴いた先は、すっかり若返りの泉を看板に掲げた観光地となっていて、調べるまでもなく任務を終えたそうだ。面白がって買ったと言っていたが……よもや本当に若返るとはと、アフロディーテも驚いていた」
「驚くのはこっちだ。余計なもの買ってきやがって」
そういえば、勝手に見つけて飲んだ酒瓶には、ラベルが貼られてはいなかったような気がした。そこで怪しさを察知できなかったことが悔やまれる。
「土産として大量に売られているものではあるし、その酒で本当に若返るのだとしたらもっと騒ぎになっているはずだから、たまたま何かの成分が、聖闘士の小宇宙となんらかの反応したのではないかと思うと、彼らも言っていた」
「何かとはなんだ」
「それはわからぬ」
「元に戻るのか」
「それもわからぬ。だが、理論上は酒が完全に抜ければ元に戻るはずなのだ」
と思うのだ、と付け加えられた一言には不安しかない。
だが、こうなった原因もまた、それ以外に思い当たることはない。
完全な酒精の分解となれば、遅くとも寝て起きて、明日になれば元に戻るのだろう。若返りの酒ではないが、上乗せされることで、さらに体から酒が抜けるのが遅れるかもしれないと思い、シュラはワインを飲むのを諦めた。
酒も飲めない。体は子供だ。これからすべきことはひとつしかなかった。
「わかった。寝るぞ」
「まだ先ほど日が暮れたばかりなのだが」
突然の睡眠宣言に、カミュが幼顔の驚きを見せるも、シュラの決意は固かった。
腕を掴んで立ち上がらせると、朝とは反対に寝室へ連行する。
寝床へ潜り込む前に、シュラは幼くなってから気になっていたことが、やはり間違いないことを確信して、振り返った。
朝、手を取られた時から思っていたのだが、カミュのほうが微妙に目線の位置が高いのだ。寝床へ来たと言うのに、転がりもせず、無言でいることを不思議に思ったのか、カミュが不安そうに目をしばたたかせた。
シュラが知っているカミュの子供の頃の姿は、確実に目線が下だった。
子供の顔をしていても、シュラの知らない眼差しは、やや上から降り注ぐ。
「お前のほうがでかい気がする」
「うむ?ああ…言われてみればそうであるかもしれない」
何を言われるのかと不穏に思っていたのだろうカミュの、張り詰めたような表情から、かどが取れる。
ほっとしたような気配は、幼さで余計にその顔を、柔和で愛らしいものに見せた。知っているようで、知らないカミュの顔は、シュラ10歳の心臓を、やけにけたたましく打ち鳴らす。自分で自分の反応に一番驚いて、シュラは取り繕った。
「……俺は、自分よりもでかいお前を知らない」
「うむ。私も貴方より背が高いと認識したことは今だかつてなかった。恐らく、私も10歳程度なのではないだろうか。その頃、急激に身長が伸びたような記憶があるのだ」
「今、俺達は同じ年齢の可能性があるということか」
「そういうことになる」
シュラは深々と頷くその顔を、それこそ穴があくほど目に写してやろうと思った。
絶対にありえないことだからだ。カミュと同じ年齢になるという現象は。
心模様を察知したのか、または同じ事に気付いたのか、カミュも、熱のこもった眼差しで見つめてくる。
「……悔しい。お前に身長で負けた事実が」
ふと、面白そうに揺れた顔は見慣れたカミュの仕草であって、常よりもなお楽しそうに、悪戯に輝く。わざとらしく胸を張り、出来る限りの背伸びをする姿は、あまりにも見てくれ相応の、子供だった。
「うむ。もっと悔しがってほしい」
「調子に乗るなよ」
身長で負けているとはいえ、近寄って、額を合わせてしまえばわからなくなるほどの差しかない。脊髄反射のように抱き寄せた体は、触れれば触れるほどにいまだ発展途上の薄さが直に伝わってくる。
回されたカミュの手のひらもまた、確かめるように背中を何度も往復した。
「やはり幼いな」
「お前だって華奢だ」
シュラも負けじとカミュの体をまさぐって、からかう。
あの頃、こんなに触れることができるようになるとは、考えたこともなかった。
「服も何もかも面倒なことになったと感じたが、少しだけ、土産を貰ったことに感謝したい。……懐かしい貴方がいる」
「元に戻らなかった場合を考えると、今すぐ息の根を止めに行きたいところだが、まあ許してやらなくもない。……でも、正直俺は、10歳の頃のお前のことを、あまり覚えていない」
カミュが10歳の時にはすでに、聖域には偽りがあった。
その時分に、真実を知らぬ同胞達に目を掛ける余裕などはなく、また彼らは、聖域を離れていることがほとんどだった。
カミュの姿も遠目から見かけていたような気もするが、それが純然たる事実なのか、記憶違いであるのかさえ、わからない。
「俺の知ってる頃よりも、三年間で案外成長していたんだな。丸々とした猿のようだったのに」
「それは酷い言い草ではないか。せめて子供らしいだとか、可愛らしいというのならまだしも」
「いや、可愛くはなかった。頑固さが顔にでていた」
即答すると、背に回っていた腕の力が締め上げるように強まった。
ふふ、と微かにカミュは笑う。
「貴方の知らぬ三年の成果を今ここで、見せてもよいのだ」
意識は変わらないままのはずなのだが、多少は影響がでているのかと思うほどの悪童さが垣間見えて、シュラはつられて顔が緩む。
そこから、当たり前のように無意識に、なんの考えもなしに、カミュの服の裾から手を入れて、まるで無垢の感触に戦いたのもまた、シュラだった。
「シュ、シュラ!!!」
「ハッ!!…な、なんだ、まさかお前はまだ生えて……!?」
すっかり忘れて体を密着させていたものの、下着は到底あうものがなく、履いていない。シーツ服はたっぷりとしたものだから、ついぞそれを忘れていたが、二人揃ってその中は剥き出しである。そして、体は成長途上だ。
ばちん、と音がでる程にカミュから手のひらで唇を押さえられて、それ以上は言うなと睨まれる。
「そ……それだけの上背をもってして、」
「言うな!……確かに背は伸びたが…急激な背丈に栄養を奪われていたようで……その、」
「ふん、勝ったな。俺は生えている」
「な、なにぃっ……!?もはや貴方は大人であったか…勝負には勝ったがどこか負けた気がする。悔しいのだ」
唇を尖らせたところをさらに、つまんで捻ると、ますますカミュは頬を赤らめて、睨んできた。そして、これが大人であったら、確実にこの雰囲気のまま寝床へ沈むべき状況だった。
気持ちは高ぶるのに、やはりこの姿で抱き合うことには、躊躇いがある。
「……お、おい、寝るぞ」
これ以上、触れているとよくない気がして、シュラはカミュからあえて肌を離した。
「う、うむ」
ふいと外された視線の意味に気づかないわけもなく、心の底から意識のままの体であったら、今この瞬間に押し倒すべきところなのだと、歯噛みをする。
気まずいような、気恥ずかしいような空気のまま、寝床に潜り込み、目を閉じかけたところで、起きた時には元に戻っているという期待を込めてシーツ服を脱ぎ捨て、裸になる。
「な、なぜ脱ぐのだ」
すぐさま裏返った声が飛んできて、シュラはブランケットにくるまることで弾き返す。
「なんでって、これを着たまま元に戻っていたら寝起きが苦しいだろうが。ガキなんだからやましいことなどない!」
「う、うむ」
勢いまかせに返したことで納得をしたのか、それからぎこちなくカミュも隣へ転がってきて、もそもそとブランケットに埋もれて服を脱いだ。
「寝て起きたら戻っているといいな」
「戻らねば困るのだ」
布に阻まれたくぐもった声が、駄目だと思うのに先を知りたい欲を募らせる。
「……なんでだ」
「なんでもだ」
「答えになってない」
なんでもない会話を交わしているだけなのに、どこにも行き先のない感情がどこか体の隅にあって、シュラの心臓はまた、他人事のようにばくばくと脈を打った。こんなにも己の心臓は激しく打つのだと、シュラは今初めて知ったような気がした。あの頃は、これが普通であったのか。
耳障りな鼓動は、隣にいるカミュにも聞こえてしまうかもしれない。
「……この体ではどうしようもない。貴方にどう触れていいかもわからぬから、やはり私はいつもの体がよい」
ぼそぼそと響く声が、幼い体を暴れさせる。
けれども頭の中で、欲望は巨大な錠前付の扉の向こうに押し込められているような、感じたことのないもどかしさがあって、シュラは勢い余ってブランケットをはねのけた。それは、大人の意識にはどうしようもない煩わしさで、狂おしい。
「どうしたのだ」
「カミュ。……お前はまた、余計なことを」
「あ、貴方が問うからではないか!私は答えを言ったまで、」意識と肉体の板挟みを無理やり心から追い出して、シュラはカミュの幼い唇を同じもので塞いだ。たかがキスなどいくらでも交わしているのに、いつになく柔らかい真綿のような感触と湿り気に、心臓が跳ねる。う、とカミュが息を飲み、体を強ばらせたのがわかった。
それもまた、幼さが引き寄せる反応なのだろう。
触れたものの、より深くを欲する前に、早々に押し寄せた恥ずかしさに負けて、唇を解放する。
感情ではもっとしたい。
だが思考が強烈にそれを阻む。
「……もっとしたいのに体が駄目だ」
素直に吐露をしてしまうのも、意識と肉体の差異が引き起こすことなのかとシュラが息を荒げていると、抱き寄せた体の下で、何かを耐えるようなか細い声が漏れて、突然首筋に鋭い痛みが走った。
「いっ……?!」
「はっ?!あ、ああ……す、すまない、シュラ……たまらなく興奮すると思っていたらつい、歯を立ててしまった…」
噛んだことで我に帰ったのか、カミュは慌てて痛みを和らげるように、食んだ場所を撫でてくる。
噛まれたところから、じわりと広がるのは、やっとのことで出口を見つけたような欲望のひとひらだ。
「これだ…!!」
「な、なに?、アッ!う……」
自分自身の行動に混乱しながら、困惑に頬を染める首筋を、シュラも甘噛みする。鼻に抜けるカミュの香りが、荒ぶる思考と興奮を撫でる。
成長途上の肌に歯を埋めれば、やわやわと肉が沈み、微かに震える。
それはあたかも幼い体で、大人の欲望を解放するための、疑似的な行為であるかのようだった。
ひとしきり、肌に歯形を残す程度に堪能して、唇を放す。
与えた一噛みで、さらにたまらない気分になったのだろうか、再びカミュが首をもたげて肩の先を噛み、うっとりとした顔で囁いた。
「歯を立てているとやり場のない妙な気分が落ち着くのだ」
「間違いない。なんなんだこの体は」
シュラは、カミュのなおむっちりとした二の腕に顔を寄せて、囓る。何かを食らおうとする行為もまた、欲望の一つだ。
何度か咀嚼のように口を動かしていると、穏やかさに包み込まれてたまらない気分になる。
夢中で互いの体を噛みあっていると、そのうち猛烈な眠気に誘われた。
「……まだ寝たくないのに、寝そうだ」
だんだんと、カミュの声が遠くなっていく。
「私もだ。もっと貴方を眺めていたいのに」
柔らかな音が子守唄のように耳に沈み、シュラは意識を手放す間際、いつになく体温の高い子供の体を引き寄せる。
初めて知り、覚えたそれを忘れぬようにと密やかに誓って、眠った。
数時間後の目覚めは、昨日とはうって変わって心地のよいものだったけれども、無数の歯形の跡のついた大人の体が無防備に腕の中にあるのはとてつもなく興奮を煽る状況で、20歳の体が目覚めるまでの間、再び23歳の意識と体を、どうしようもなく狂おしい気分にした。