2009年3月10日魚座誕生日の2020年3月10日改稿版。
面倒くさそうに、銀髪の男が笑った。
「なんで機嫌悪くしてんだよ。人がせっかくやったってのによ」
手を伸ばせば届く距離にある、薄水色の髪の持ち主に向かって吐かれたその言葉は、さも当たり前のように空中に溶けた。それはもう始めから、何事も無かったかのように。
「無視ですか?ムシ?無視しないで寂しいわアタシ」
髪と同じ色の鋭い視線は、鬱陶しいといいたげに銀髪の男に送られた。
「なによ可愛くないわね」
他の人間よりも見目麗しいとされる顔の中の、形良い瞳の眼差しは、美の意味を体現してあまりあるだけに強烈だ。野に咲く薔薇に毒はないのに、目の前に咲く薄水色の薔薇は、恐ろしい程の毒を持っている。至近距離で鋭い棘に触れると、銀の髪に紅い瞳の蟹座の心に火が灯って躍る、という猛毒が。
「そんなに私の不機嫌な顔は面白いか?」
「え?面白いに決まってる」
薔薇の毒の成分は、呟かれた言葉にも多分に含まれていて、身に受ける度にデスマスクは頬が緩んでいく。ますますアフロディーテという薔薇の棘は尖る。
「ニヤニヤと笑うな」
「オマエの不機嫌は面白いけど、理不尽すぎるとは思ってる」
「奇遇だな。私も理不尽だとおもっているぞデスマスク。なんで私が貴様に腰を抱かれている」
ソファにどかりと座ったデスマスクの膝の上で、輪をかけて傲岸な態度で座る薔薇は抗議の声を出した。理不尽も何もない、とデスマスクは思う。誕生日だから何かよこせと、何日も前から顔を見るたび責め立てられて、いざ当日に適当に豪華な食事を食わせて酒を飲ませて、ご機嫌にさせたところで跨ってきたのはアフロディーテだった。
「理不尽なら負けないんだけど?」
それがプレゼントという名の神に供物を捧げる時間なのだと理解して、デスマスクはこれもまた思いつきで、適当に選んだそれなりに高価なものを手首につけて渡したのだった。それでこの理不尽さは生まれた。
「……ねぇ、なんで機嫌悪ぃの」
「何故己で考えようとしない!私が知らぬうちに蟹の味噌は誰かに食われてしまったのか。そうかそれは残念でならない」
「俺が気付かねえうちに、せっかく宥めすかして折った薔薇の棘が、また生えてきちまったらしいな。めんどくせぇ。どいつが生やしたか知ってるかアフロディーテ」
薔薇の毒が皮肉という形に変わっても、さらに皮肉で受け止めて投げ返す事が出来るのは、毒に侵されて、麻痺してしまっている証拠なのかもしれなかった。強烈な毒に対抗しうるのは毒だけという話もあるし、毒は薬にもなるという話があるけれども、誰かを癒すための薬はあまり面白くない。毒は毒だからいい。
「それでは犯人を見つける楽しみがなくなってしまうじゃないか」
「推理小説は結末から読むもんだろ。読み終わるまでいつまでたっても眠れないし。そんなに暇じゃねぇ」
「それも初めて聞いたな。本が読める蟹の話だ」
「近頃の蟹はいろいろやってんだ」
「それはそれは素晴らしい進化の過程だ」
「蟹は努力家なんだぜ。今もこうやって、薔薇につく悪い虫をとってやってるし?」
デスマスクがからかいに伸ばした指先は、当然のように簡単に叩き落とされた。
「おや、ご苦労な事だね。できることならば私も害虫駆除には参加したいのだが、あいにく金の鎖が重くて動けない」
おどけるような艶を含んだ花の瞳は、されど傷口がどこかを教えるように笑んでもおらず、皮肉の色を浮かべてもいなかった。
「早く言え。馬鹿」
「馬鹿はお前だ」
「何がイヤなの。色ぉ?デザイン?」
薔薇の毒から僅かに覚めた頭で、デスマスクは押し黙るアフロディーテに問う。
外見の装いに興味も感性もないのは熟知している。よこせとは言うものの、具体的な物の指定があったわけではなかった。よくある所有物としての証だとか、愛の形だとかそんなのを狙ったわけでもない。ぶらぶらと通りを歩いていて、華奢な金の鎖のブレスレットが目について、まあ似合わなくはないし、邪魔にはならないし、金に困ったら――常に困ってはいるけれども――売ればいいと思ったので、デスマスクは購入しただけだ。それ以上の意味もなにもない。
「赤い糸のほうが良いとかはほざくなよ」
まだまだ押し黙るアフロディーテへ、デスマスクが先に攻撃を仕掛けた。
「くだらない」
「じゃあ、なんだったらくだらなくねぇ」
「私がくだらないと思わないやつ」
デスマスクはあらぬ方向を見るアフロディーテの顎を掴んで、無理やり視線を合わせた。
「言いてぇ事があるなら言え。しょうがねぇから聞いてやる」
アフロディーテは深々と溜め息を吐く。理解できないことを咎めているのは明白だった。
「壊れるだろうが」
「は?」
「こんな鎖いつかは壊れてなくなる。私はいつか壊れてなくなるものなどいらない。はじめから欲しくない」
「そこ?」
忌々しげな態度で言い切るアフロディーテの剣幕は茨の如くに、デスマスクに絡み付く。怒気すら孕むその様は、まさに触れるもの全てを殺す毒薔薇だ。
「壊れてなくなるもので私を繋ぐな」
「言われなくてもオマエを繋げるなんて思っちゃいねぇけど。逆に繋がれると思ってるオメーが怖いわ」
「壊れた癖に何を言う。私よりも先に壊れただろうが。……いつか壊れるのに繋がるのをやめられない自分にも腹が立つのに、お前からもらった金の鎖なんか身につけていられるか。目にする度に、あの日の怒りを思い出すに決まっている」
アフロディーテは鼻息も荒く言いたいことを言い終えると、荒々しく舌打ちをする。
この世に「壊れない」ものなどないのだ。
「何がおかしい。デスマスク」
「いや、素直じゃねぇなと思って」
「何を言うんだ。私ほど素直で美しく、気高い魂を持つ人間はいない」
「はいはい知ってる知ってる」
半分程度は事実の妄言を聞き流して、デスマスクはアフロディーテの手首を掴んだ。極小の金属がぶつかって響く音は、澄んで清く鳴る。くびれの骨にかかって、細かく光る粒が煌めいた。その光りを軽く一瞥してから、手首と金の鎖の間に出来たその隙間に顔を近付けて、唇を寄せる。
「なにをしてる?」
訝しげな声には、ニヤリ笑いで返事をした。
金の鎖を齧るついでに肌にも余分に吸いついて、上顎と下顎の尖った犬歯の隙間に鎖を追い込む。歯で噛み締めたまま引きちぎる。華奢な金の鎖のブレスレットは、さしたる力も必要とせずにあっさりと切れて壊れた。手首から顔を上げたデスマスクの唇の片端からは、もはやただの金の鎖がゆらゆらと揺れていた。
「ほらみろ。脆い、脆すぎる」
「脆くはねぇ。わざと壊したんだから」
ザリリ、と鎖の端を噛みながら、デスマスクが得意気に髪を掻きあげる。
「壊してどうする」
「食うんだよ」
「いくら蟹だとて金属を食すなど雑食がすぎやしないか……?」
「くだらねぇこと言ってんな。壊れてなくなんなきゃいいんだろオメーは。今更壊れねぇし、壊れる隙もねぇし、壊したくても壊れなくて困る」
金の鎖の端から少しの感情を垂らして、またデスマスクは笑った。
「そこの酒取って」
「取って??」
「あっ、とってください」
アフロディーテは膝から降りようともせず後ろ手で、飲みかけの酒瓶を掴んだ。ふわりと瓶から立ち上る、一応奮発して揃えた高級ワインの香りに酔いしれながら、デスマスクは口端から鎖を取る。手のひらに乗せて、原子の根本から粉々に砕いた。
アフロディーテの手首一回りと少しの金の鎖は、微量の金の粉に変化する。鎖の形を成していた時よりも、輝きはより一層増した。大きな光も小さな光も、混ざり合って黄金色を生み出す。
「さて、なくしちまうかな」
デスマスクはさして興味もなさげにその金をワインの中へさらさらと溢した。音もなく落ちていく輝きは、瓶の口からあちらこちらへと溢れて舞い、デスマスクの膝の上もアフロディーテの長い髪にも全てに塗れた。
「粉!金の粉!ただでさえ高価な私がさらなる高みに」
「なんだそりゃ」
アフロディーテを横目で見ながら、デスマスクはワインを口に含む。緩やかな動作で、眼前の唇に触れてから、そのまま深く口付けた。
ごくりとアフロディーテが飲み込むのを確認してから、離れる。赤の酒に溶けない金砂が、薔薇の唇にまとわりついて潤ませて、やっぱり離れがたくて舐める。
「極上だろ?」
「……蟹座ではなく、キザだな。蟹の癖に」
「照れてんの」
「照れるわけがない」
鎖は跡形もなくなって、目に見えない黄金は薔薇の中に沈んだ。すでに潜ませ隠していた、壊したくないものに溶け混ざって何も変わらないことが、デスマスクはなんとなく良い心地だった。